音声入力日記

音声入力メインで書く日記です。実験&整理して話すトレーニング。

適当な日記。

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最近、といってもほんのこの数日思っている事は人間は何かを作ることに集中していることによってフロー状態に入ることができ結果的に生きている実感を感じやすいのではないかと言うことである。この何かと言うのは必ずしもフィジカルなものに限らないのではないかと思っていて、例えば木工品であるとかもちろん料理であるとか絵画であるとかかなり幅は広いんだと思う。創造性が発揮されることと言い換えた方が良いのかもしれない。

僕は進化生物学と人類史が大好きなので、仮にこの創造性の発揮がフロー状態の成立と生きている実感の獲得につながるのであれば、ではなぜそれが生きていく上でプラスになるような進化的な意味での心理を人間が持つようになったのかということがとても気になる。 おそらくこれに明白な答えを出すのはほぼ不可能なのだけれども(進化真理に関する追求と言うのはえてしてこういう傾向にありがちだが)自分なりになるべく納得のいく仮説を考えてみたいと思う。

1つには創造性の発揮こそは環境の変化を適用して生き延びるための鍵でありそれを発揮する状態に喜びを感じるようになった方が生存にプラスだったからというのが考えられる。 この考え方を使えばなぜ代わり映えのない日常がつまらないかと言うのも納得がいく。代わり映えのない日常が面白かったら創造性を発揮する余地がなくなってしまうではないか。フロー状態から得られるとてつもない快楽と満足度がきっと人とか集団の生存を助けるように働いたのである。

その割には人類の文明の進歩はあまりに遅かったじゃないかと言われるとまぁそれはその通りだ。 でもそれはやはり人類が定住を始めたこと、かつ文字の獲得とそれによる記録蓄積が可能にした生殖速度を超える知識のアップデートと広がりが実現するまでは難しかったんだろうなと思う。 ここでバベルの故事を思い出す。詳細は忘れてしまったけれど言語が1つしかなかった時代に人類がとてつもなく高いバベルの塔を立てようとしたら神の怒りに触れて雷が落ちて言語もバラバラになってしまったとかそんな話だった気がする。 これは物語だから実際人類史としてはそんな事は無いのでどっちでもいいんだけれど現代世界の1つは言語による断絶と言うものが相当に大きい事はグローバルグローバル煽られる日本人にとっては他人事では無いかもしれない。しかし実は本質的にはロジカルシンキングであるとか数学とかプログラミングとかそういった自然言語よりもっとみんなに共通する知識体系が存在しているのが世界なので素行自覚的に追求する方が大事と言うこともあるんじゃないかな。

今日の日記は何が言いたかったんだ。音声入力で適当にしゃべっているとこういう風に最初の話とまるで関係なくなっていく。酒を飲んでいるのでなおさらかもしれない。でもこれはこれで良い。これが音声入力日記。

なお写真は適当な素材。