音声入力日記

音声入力メインで書く日記です。実験&整理して話すトレーニング。

僭越ながら〇〇させていただきます、と言わんでくれ

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「僭越ながら〇〇させていただきます」 と言う表現がある。僕はこの表現が嫌いである。理由としては誰に気をつかっているのかさっぱりわからないからである。

例えばイベントの主催者を引き受けるとしよう。それは結構大変な仕事でみんなから期待される反面プレッシャーもあるだろう。でもそこで「僭越ながらさせていただきます」と言うのはリーダーの言うことなのかなぁと疑問に思う。 役割の大きさに対して自分の力不足を感じていて謙虚でありたい、と言う日本人的な配慮はもちろん僕もわかるしそれを言うことが求められていると感じてしまう空気感もよくわかる。 でもそんなのは硬直した古臭い組織でのずれた気の遣い方なんじゃないかっていう気もする。

リーダーは大変だ。何か起こったときにやっぱり責任を取るのはリーダーだ。その一方で成功するためには私心を捨てていくことが求められる。でもそうなると今度は自分て何なのよ、と言う悩みと疲れにさいなまれることだってある。

それでも、リーダーを引き受けたのだ。引き受けたのであれば僭越ながらなどと言って自分を低く見せるような事はしなくていい。僕はその言葉からは美しさよりは空気を過剰に読もうとしている不安さを感じ取ってしまう。 もっとずぶとくていいよ。リーダーを引き受けたと言うのはおそらくほとんどの場合誰も引き受けてくれなかったからだ。その勇気と覚悟は評価されていい。 でもだから、その勇気と覚悟をもう少し延長して、自分を信じてそして他人を信じて、人と人のつながりから価値を生み出していく事に取り組むことに胸を張って立っていれば良いのではないだろうか。

と偉そうに言っているがこれは僕自身が全くできていないことなので、自分のお尻をたたいている。 僕は働きたくないし、自分に何もないことに不安で仕方は無い。 けれど、リーダーシップを発揮する時には変に空気を読むことがないよう、そして目的地がどこにあるかを自分の心に問い続けて行動できた方が多分、自他共に良い影響が出るんじゃないかと、数少ない人生経験の中からは思ってる。